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2009年12月29日

<第十七夜> 一枚の写真  -画像を読み解く-

 長い間更新が滞ってしまいました。
いつも当ブログにご来訪下さっている皆様には誠に申し訳なく思います。
さて、今回は軍艦の艦名表記をお休みして、ある写真について解説してまいりましょう。

 先日、ネット上の艦船画像をあてどなく流し見していたところ、見慣れないこの画像を入手いたしました。

File2a

※画像クリックで拡大表示します

 一見して空母上の零式戦闘機の画像ですが、一切キャンプションがありません。
今回はこの画像から判る限りの情報を拾い上げ、これがいつどんな場面を記録したものなのかを探ってみましょう。

①空母について
 
 この場面が航空母艦の飛行甲板上であることは、見ての通りです。ではこの空母の特定から始めましょう。
 まず目に付くのが空母特有の起倒式アンテナ支柱です。そしてその後ろに測距儀らしきものが見えますが、これは恐らく4.5m測距儀か高射装置であると思われます。
このアンテナ支柱と高射装置のレイアウトを手がかりに空母の図面を照し合わせると、飛鷹型空母がヒットします。
これでこの空母は飛鷹もしくは隼鷹である事が特定できました。

Junyou1944crop

※航空母艦 飛鷹(ひよう Hiyo)型 隼鷹(じゅんよう Junyo)の艦型図
(作図:石橋孝夫 潮書房 「丸スペシャル」#11 空母 隼鷹・飛鷹 より転載)

②撮影時期について

 それではこの写真はいつ頃撮影された物なのでしょう?手がかりは甲板に所狭しとひしめいている零式戦闘機です。
 零戦にはいくつかのヴァージョンがありますが、ここに写っているのは後期型である52型系列(A6M5)の機体です。これはカウリング(エンジン覆い)の形状から明らかです。
このタイプの零戦は昭和18年8月に制式採用とされていますが、実際には1~2ヶ月前より実戦配備が始まっていたと思われます。
 さて、これで撮影時期はおおむね昭和18年7月(頃)以降である事が伺えますが、もう少し絞り込んでみましょう。

 さらに時期を特定するヒントは、まだ零戦にあります。
一番手前にいる機体と右端の機体に注目してください。この零戦の水平尾翼前端にかかる胴体の塗装が切り上がっています。
これは中島飛行機でライセンス生産された零戦の特徴です(零戦の設計・生産元は三菱重工)。
 中島製の零戦は昭和18年末から生産が開始され、昭和19年3月から100機以上の生産数に上がっているので、このように機数が揃うのは昭和19年3月以降であると見るのが妥当でしょう。
 さらに零戦の胴下に抱かれた落下式増槽に注目してください。これは取り付け部分のカバーを省略し、パイプの剥き出しになったタイプです。この増槽も昭和18年後半から導入されたと見られるタイプであり、これらの点からこの写真の撮影時期は昭和19年春に入ってからだと推察できます。

 まだ零戦から読み取れるヒントはあります。一番手前の機体の垂直尾翼には、所属を示すナンバーが記入されています。画像は尾翼部分を拡大し、明度を上げて数字を読み取り易くしてみたものです。

File2acrop2

※画像クリックで拡大表示します   

 “3○○-35(もしくは85)”と読む事が出来ますね。日本海軍は空母の運用を始めた頃より、母艦固有の飛行隊制を採っていましたが、昭和19年2月以降は基地航空隊を母艦に展開させる方式に改めています。
これは航空戦の際、飛行隊の運用や指揮を統一させるために行われたものです。
 この点からも、この写真の撮影時期は昭和19年春以降であると見て、まず間違いないでしょう。 

③さらに詳しく…

 もっと掘り下げて考察してみましょう。先のナンバーで○を当てた数字は、上部が丸く下辺が直線のようです。となるとこのナンバーは“322”である可能性が濃厚になります。
当時の航空隊で“322”ナンバーを付けたものは、652空であり第二航空戦隊が該当します。652空は第三艦隊に展開する母艦航空隊であり、この“322”ナンバーを冠した飛行隊を搭載した空母は飛鷹である事が資料にあります。
(同型艦の隼鷹のナンバーは“321”)

 あと、垂直尾翼の上部に書かれた“3”は、おそらく第三艦隊所属(母艦搭載時)を示す数字だと思われます。
よってこの写真は空母飛鷹艦上にて撮影されたと推察できるのです。

File2acrop2a

↑検証画像 ※画像クリックで拡大表示します

 この写真は甲板に並ぶ零戦群を見下ろすような形で撮影されていますね。また尾翼を見せている零戦の向こう側の飛行甲板には、滑走制止索が見えます。
 この零戦群を見下ろせる角度と艦上に見える諸装置との位置関係から、撮影者は飛鷹の艦橋後部の機銃と見張り所のあるデッキの前端にいたであろう事が確認できるのです。

Junyoucropcrop2

※画像クリックで拡大表示します

④と言う事は…

 空母飛鷹が作戦参加のために652空の飛行隊を搭載したのは、行動記録によると昭和19年5月6日となっています。したがってこの写真はマリアナ沖海戦に臨む空母飛鷹艦上である事が濃厚になりますね。
 ただ、アンテナ支柱が起立した状態である事や、零戦が飛行甲板に係止されている事から海戦時の撮影ではなく、作戦に向けて受領した零戦を整備・調整中なのだと思われます。

⑤謎

 この写真に写っている零戦は52型である事は先に述べました。この52型は多くのサブタイプがありますが、写真にあるのは原型である(区別記号の付かない)無印の52型と見られます。
 沢山のヒントをくれたこの零戦52型ですが、判らない事もあります。
零戦は52型の前のバージョンである22型甲(A6M5a)より20ミリ機関砲を長銃身の九九式二号固定銃三型に換装しており、その銃身が主翼から突き出すようになりました。
ところがここに写っている全ての零戦には、その20ミリ機関砲の銃身が見られません。
 単に武装を機体から降し整備中なのか、何らかの理由があって搭載していないのか…
飛鷹型の空母は当時最新鋭の艦上爆撃機「彗星」(D4Y1)の運用能力がなく、爆撃用の機体には旧式の九九式艦上爆撃機と爆装零戦を当てており、マリアナ沖海戦時に飛鷹からは9機の爆装零戦が攻撃に参加しています。
 通説では爆装零戦には、当時旧式化しつつあった21型(A6M2)が用いられていたとされていますが、もしかするとこの零戦は(写真では増槽を積んでいるものの)52型でありながら爆装で運用される予定から、重量軽減のために機関砲を降ろした機体であったのかも知れません。

File2a_2
※検証画像 画像クリックで拡大表示します

 以上の検証結果から、この写真はマリアナ沖海戦(「あ」号作戦)に臨む空母飛鷹艦上の零戦であると推察して、まず間違いないと思われます。 
これに対するご意見ご感想そして反論異論がございましたら、どうぞコメント欄にてお聞かせください。

 ※追記:「間違いない」とか書きましたが、やはりここは「このような結果にたどり着きました」とすべきですね。(オイ!) この説を裏付ける別の写真なり文献なりが無ければ、“確定”とはならないと思いますので、ここで言い直しておきましょう。
 また、ここに記した以外にもこの画像を仔細に調べると、まだ新たな発見があるかもしれませんね。

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コメント

零戦52型、特に丙型は防弾性が向上した代わりに機体が重くなり格闘性能が低いとパイロットから評価され前線では軽量化、旋回性能向上のため防弾板と機関砲をはずすのは当たり前に行われていたようです。

投稿: M | 2014年7月22日 22:39

upから随分遅くの投稿、ご容赦ください。
本日初めて拝見しましたので。
記事中の機銃の件ですが、搭載しているようですよ。
検証写真中の「機体の係止索」の索の字あたりに、飛行甲板上に落ちる銃身の影が見られますし、「52型の特徴あるカウリング」と書かれた機体のキャブレター用インテイクのすぐ右横にはこの機体の左機銃の銃身先端が見えています。
なので、これら52型は制空用の機体であり、画面左上のエンジン部分にカバーのかかった機体には主脚外側に落下増槽が見られることから、こちらが爆装機であったと推察できるようです。

投稿: | 2016年11月27日 12:38

ようこそいらっしゃいませ。コメントの投稿ありがとうございます。 
>機銃の件ですが、搭載しているようですよ。
そうですね、確かにご指摘のとおりで確認できますね。
加えて翼下増槽の機体についてもご推察に間違いないでしょう。 
今まで『画像を見ているのに見えていませんでした』 
いや全く以ってお恥ずかしい限りです。 
とは言えこのようにご意見下さり、うれしい限りです。 

ずっと更新の止まった弊ブログですが、まだネタは用意しておりますので、よろしければまた遊びにいらしてくださいね。
コメントも大歓迎です!

投稿: ユダ・イーリュー | 2016年11月28日 01:07

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