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2015年5月28日

<地図と航空写真で見る神戸港の変遷> Part.1 

今回から地図や航空写真を使い、神戸と神戸港の発展と変化をレポしてまいります。
どうぞ最後までお付き合いくださいね。 
 
Part.1 明治から大正期
 
◎明治初期
 江戸の最末期、幕府の政策転換により開国と共に開港(当初の予定は兵庫港)する事となり、明治元年(1868)に誕生した神戸港ですが、その頃の様子はどのようなものだったのでしょうか?

1872m3_2

開港から間もない明治3年(1870)の神戸港です。
(酔人漫様の『塾長日記Blog』より転載・加工。クリックで拡大)
 
かろうじて後に『メリケン波止場』と呼ばれる突堤(船着場)と、海軍操練所跡の船溜まりがあるのみで、お世辞にも港湾施設と言える物がほとんど見当たらないのが判っていただけるでしょう。
 
陸側に目を転じると、付け替え工事の終わっていない(工事中の)生田川や湊川が認められます。
この時期、生田神社の東には、外国人用の競馬場がありました。
 
画像では“小野浜造船所”としていますが、この頃はまだ“小野浜鉄工所”と呼ばれていました。
後に帝国海軍の発注で、日本初の鉄製軍艦(スループ、sloop)『大和:やまと Yamato(初代)』が建造されます。
 
 
◎明治後期

Kobe_meijicrop

 画像では判りにくいですが、市電が敷設されているので明治末期(40年代)と思われる神戸港です。
地図の左端に見える湊川が付け替えられた(埋立て済)後です。
しかしまだ地名に『新開地』と言う名称は記されていません。
 
この頃になると海岸線の辺りも港湾らしく整備され、メリケン波止場がしっかりとした造りになっている事、現在の京橋付近では、新港の工事に伴い埋め立てが始まっている事が記されています。
 
余談ではありますが、この地図と同時期(明治41年(1908)4月28日)に、ここ神戸港から『笠戸丸:かさとまる Kasato-Maru』 が第1回のブラジル移民を乗せ出航しています。
 
川崎町(現在のハーバーランド付近)の場所には、川崎造船所や高浜倉庫が作られ、それに接続する貨物線が敷かれているのが判ります。
当時の神戸駅は正に神戸の玄関口であり、神戸市役所も駅の北側にあったのです。
そしてメリケン(米利堅)波止場の上の方に、移転前の旧三ノ宮駅が見て取れます。
(現在の元町駅のやや西側。昭和6年(1931)に現在地へ移転)
この駅を窓口として、南にある元町商店街が繁華街として発展する事になります。
 
外国人居留地は明治32年(1899)に日本に返還され(治外法権がなくなり)、神戸市に編入されました。
ちなみに居留地東側にある“遊園地”(実は運動場)は『内外遊園地』と呼ばれ、日本人も立ち入る事が出来ました。
当時珍しかった外国人のスポーツを市井の人々が訪れて観戦していたと言われていますから、多分お手軽な国際交流の場だったのでしょうね。
 
前述の小野浜造船所は、既に設備が呉海軍工廠に移転され、閉鎖されています。
 
 
◎大正期

Kobe_1920

大正9年(1920)の神戸港です。
最初の頃に比べ、もはや比べ物にならないほど一大商港としての威容を見せています。
真っ先に目に付くのはメリケン波止場から見て東に新設された『新港突堤1~4』ですね。
(当時の倣いから、右より1~4の順となります)
 
その新港突堤に併せて貨物線の小野浜貨物駅が新設され、軌道が突堤まで引かれおり、港で扱う貨物の量が増大した事が窺えます。
突堤に隣接して倉庫群が記されているのも、その現れでしょう。
画像では読み取り難いのですが、メリケン波止場西側にも倉庫群と小規模な突堤が新設されています。
 
旧生田川・旧湊川は完全に道路になり、その道筋から辛うじて河川跡が偲ばれる程度となっています。
 

Fimg_9796crop

同時期(大正後期?)の別の地図です。
 
新港突堤の東側に新たな埠頭の建設(新港第二期)が計画されているのが見られます。
また、第一突堤は拡張の計画線も引かれています。
加えて港内中央部(メリケン波止場西側)に、新たな埠頭も建設予定です。
(点線部分)
 
この時期、神戸港が急速に進化していることが見て取れます。
港内の航路も整備されているのがわかります。
海上に点々と描かれているのは停泊用の『ブイ(浮標)』の位置とその番号です。
当時は直接岸壁に接岸する以外に、これらのブイを使用して船を繋ぎ、沖で荷降ろしして艀(はしけ)で運んだり、通船を使って旅客の乗降をするのが普通だったのです。
艀については、また後の記事で触れる予定です。
 
続く
 
サイトより転載・加工いたしました。

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