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2015年6月25日

<地図と航空写真で見る神戸港の変遷> Part.3 

明治維新から追ってきた神戸港の変遷史。今回が最終回です。

Kobe_1970crop

昭和45年(1970)の神戸港の地図です。
大阪千里丘で『万国博覧会』が開催された年ですね。
ポートタワーの位置がが地図に示されています。
加えてこの地図からは判りませんが、4年前に新港第8突堤の東側に『摩耶埠頭』が完成しています。
 
海岸線に沿うように『阪神高速3号神戸線』の高架道路が現れました。
平面からはあまり感じられませんが、神戸港の景観も大きく変わりつつあるのです。
そして神戸港はこの後もまだ変貌を続けます。
 
余談ですが、この3年前に『ウルトラセブン』のロケ撮影が神戸にて行われました。
巨大ロボット キングジョーが六甲山、そして神戸港で暴れまくり、そしてセブンも釣られて暴れます(オイ!
デカイのが2体で暴れるので、港の近辺は水浸しになりましたとさ。(迷惑だなぁ…)
 

Kobe_1975crop

昭和50年(1975)の神戸港
 以前からの港湾施設にはほとんど変化はありませんが、新港第4突堤の先が延伸され、さらにその先に巨大な『陸地』が出現しています。
これが『ポートアイランド』と呼ばれる巨大な埋立地です。
陸地とポートアイランドを結ぶための、第4突堤から伸びた連絡橋である『神戸大橋』は1970年に開通しています。
(それにしては先の地図には記されていないゾ!)
ポートアイランド自体はこの時点でまだ工事中で、完工(第一期)は昭和56年(1981)になります。
 
中突堤(なかとってい)の東側、防波堤の内側には艀がひしめき合っています。
これまでの画像の中で、最も多く写っているのがわかります。
艀の荷役作業はこの頃がピークだったのでしょう。
この後、貨物の形態はコンテナ輸送になると共に荷役作業の場はポートアイランドへ移行していくので、艀は減少していくことになります。

Kobe_1980crop

昭和55年(1980)の神戸港
 前述のポートアイランドの完工は翌年ですが、既に貨物業務は稼動しています。
その影響から、港内の艀の数が激減しているのがおわかりいただけるでしょう。

Kobe_1985crop

昭和60年(1985)の神戸港
 従来の貨物の取り扱いは、ほとんどがポートアイランドへ移行され、もはや艀は新港第一突堤の西側に固まっているのみです。
 
画像からは変化が見られませんが、神戸駅の隣の湊川駅(貨物駅)は既に業務を停止しており、この年に廃駅となります。
物流の主体は徐々に鉄道からトラック輸送に切り替わっており、これはそんな時代の変わり目の画像なのです。
 
阪神高速道路の南に海上をまたぐ様に『浜手バイパス』が新設されています。これは翌年に開通します。
『自動車』が交通・物流の主役になりつつある“流れ”が見て取れます。
 
中突堤とメリケン波止場の間の海面の埋め立てが始まっていますね。ここは後に『メリケンパーク』となる場所です。

Kobe_1990crop

平成2年(1990)の神戸港
 小さい画像を無理矢理引き伸ばしたので、見え辛い点はご容赦ください。
昭和62年に完成したメリケンパーク、そしてこの時点ではハーバーランドが建設中の状態です。
バブル真っ盛りの時期ですね(笑

Kobe_1995_117crop

平成7年(1995)1月17日の画像です。
 あの震災を経験した人にとっては辛い画像ですね。
上空写真からは被害の程は判りにくいですが、メリケン波止場の部分が崩壊しているのが確認できます。
海の色が奇妙な色に変わっているのが不気味です。

Kobe_nowcrop

現在の神戸港
 震災後、ポートタワーの付近から西側が新たに埋め立てられ、遊覧専用の波止場が新設されています。
中突堤の先端には神戸メリケンパークオリエンタルホテル(長ったらしいなぁ)があります(1995年開業)。
 
かつて小野浜駅、神戸港駅と呼ばれた貨物駅は廃駅となり、跡地は過去『神戸震災復興記念公園』として整備されています。
また新港第5~8までの突堤の間の部分は埋め立てられ、主に倉庫群が軒を連ねています。
そして元の第6突堤部分の地下には、ポートアイランドに通ずる『神戸港島トンネル』(海底トンネル)が新設されました。
“見えない部分”も大きく変貌しているという事ですね。

Kobe_now_mapcrop

 
◎最後に
 日本が鎖国を解き、単なる船着場程度しかなかった海辺に埠頭が築かれ、鉄道が敷かれ造船所が生まれ、果ては人工島までが出現するとは当時の誰が想像したでしょうか?
 
国家の輸出入の多くを請け負う港町として、また国際航路の玄関として発展してきた神戸と言う町は港抜きでは語れません。
営々と発展しながらも戦火に焼かれた後に復興し、また震災で打撃を受け、神戸港での貨物の扱いが減っているとは言え、まだまだ今後の発展と進化の余地は大いにあると思います。
 
開港当時の人々がここまでの発展を予想できなかったのと同じように、我々もまた今後の神戸港がどのようになっていくのか、計り知れないものがあります。
今後も神戸港の『進化』を出来るだけ見届けて行きたいですね。

<地図と航空写真で見る神戸港の変遷> Part.2 

Part.2は昭和に入ってからの神戸港です。
 
Mg_9801
画像は昭和初期の神戸港の地図です。
中突堤(なかとってい)は工事中となっていますね。
先の地図と比べると、新港突堤の番号が左から1~4と変更されています。
これは外国船が入港する関係からかとも考えられますが、詳細はわかりません。
 
ブイがそれぞれ“A(アルファベット)” “5(数字)” “あ(ひらがな)”と分けられているのが見て取れます。
これは設置されたブイの数が増えたための処置と思われますが、係留する船舶の大小で区別されていた可能性もあります。
それだけ神戸港に入港する船の数が増えていた事を裏付けるものですね。
 
小野浜貨物駅(写っていませんが)からは海岸線沿いに線路が延びて、高浜岸壁の倉庫群まで引かれています。(代りに神戸駅からの線路がなくなっていますね)
そして神戸駅のそばに、貨物用の『湊川駅』が新設されています。
ブイの数の件もそうですが、港で扱う荷物の量が増加しているためでしょう。
この事から、船から荷揚げされた貨物が(すぐに)鉄道で運ばれると言う、当時の物流システムが判ります。
 
 画像からは判り難いですが三ノ宮駅は移転していますが、旧駅の場所にはまだ駅は出来ていないのがわかります。
市内では市電(路面電車)網も充実してきています。
港のみならず神戸の都市としての発展が伺えますね。

Kobe_1930crop

 次の画像は昭和5年(1930)の神戸港で、前の画像よりも少し後のものです。
先の新港突堤の東側に、新たに第5突堤が建設され、さらに工事中です。
 
 港の中心部には新たに『中突堤(なかとってい)』が据えられています。
新港突堤が貨物の扱いを重視しているのは、各埠頭に鉄道線が引かれている事からもわかります。
中突堤には貨物線が見られません。(後に1本だけ線路が引かれます)
この事から、中突堤は主に旅客用として使われていたのでしょう。
 
陸に目を転じると居留地跡に日本銀行(支店)が置かれ、ビジネス街として発展中である事が窺えます。
先に書いた三ノ宮駅の移転、そして元町駅が新設されています。
この頃が戦前の神戸港の絶頂期であったのかもしれません。 
 

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大戦中  米軍撮影の空襲を受ける神戸の航空写真です。
まず倉庫群が直撃を受け、煙を噴き出しているのが目に付きます。
海上をよく見てください。ゴミのように点々と写っているのは焼夷弾です。
陸に目を向けると、市街はほとんど焼き尽くされていますので、これは恐らく昭和20年3月17日に行われた空襲よりも後の撮影で、6月5日に撮影されたもので間違いありません。
 
神戸駅の北側、今で言う下山手の辺りだけ焼け残っているのが妙に印象的です。
港の様子(施設)は先の画像と大きく変わっているところは見当たりません。
恐らく戦争中は港湾設備の拡充までは手が廻らなかったのでしょう。
このときの空襲の目標は市街地もさる事ながら、川崎重工(造船所)が主であったと見られます。
 
余談になりますが、ここでは大型艦に限っても戦艦榛名、伊勢、加賀(後に空母に改造)、空母瑞鶴、大鳳、巡洋艦加古、衣笠、足柄、摩耶、熊野、大井、鬼怒、神通などの建造が行われてきました。 
そして何よりも極初期からの(現在もですが)潜水艦建造のメッカでもあったのです。
画像にも建造中の『伊ー1(Ⅱ)』『伊ー15』(共に終戦までに未完成)などが確認できます。
戦略目標にされてしまうのは仕方のない事だったのでしょう。
 
Battle_bombtokyo29
この画像は先のものよりも若干後に撮影されたもののようです。
新港の北側、すなわち旧居留地辺りが燃え盛っているのでしょう、煙が湧き上がっています。

Targetchart10akobeareafebruary19451

戦時(空襲)関連の話を続けます。
上の画像は米軍が空襲の際に用意していたチャート(地図)です。
新港の第二期建設予定の部分(東側)まで記載されていますね。
いったいどこからこんな仔細な地図を入手したんだか…
 
 スケール(円目盛り)の中心は神戸駅のようです。
恐らく爆撃目標の第一は先に書いた川崎重工(造船所)なのでしょう。
戦争の“手段”としては間違ってはいない。間違ってないけど… なんだかなぁ。

Kobe2crop

空襲に関連して、更に驚くべき事は上の画像です。
これは当時の捕虜が収容されていた場所や施設を記したものです。
これらの場所を避けて爆撃しろ、と言う事なのでしょう。
こういった情報はどこから入手したのか、興味深い所です。
日本側が中立国辺りを経由して、通知していた可能性もありますが。
 
キャンプションには“大倉山公園”“オリエンタルホテル”などが挙げられています。
先の空襲中の写真を見ると、大倉山公園の辺りが焼け残っているのが確認できます。
ノルデン爆撃照準器の精度、恐るべし!米軍最高機密兵器だけの事はある。
“マルヤマパーク”というのは、もしかして現在の灘丸山公園の事かな?
それにしては場所がおかしいのですが。
“アオタニキャンプ”と言う場所がそれに近いようですが…
あと、セキグチとなっているのは今の王子公園辺りですね。
動物園などができるのは昭和26年(1951)ですから、当時の地名でしょうか?
“Divisional Camp”って何だろう?場所的には旧居留地ですね。
ここは上の画像で思いっきり爆撃されて炎上してますよ?いいのか?
 

Kobe_1947

さて、時間を進めて戦後の神戸港を見てみましょう。
画像は昭和22年(1947)の神戸港です。
一見、前回の記事の最後の戦時中のものと比べて特に変わったところは見られません。
しかし戦時中に比べて港内には大型船舶が全く入っていませんね。
これは戦争での船舶の被害が甚大であった事を物語っていると言えるでしょう。
唯一、造船所の乾ドックに大型船が入渠しているのが見られるだけです。
メリケン波止場や海岸に多数群がっているのは、荷役に使用する『艀(はしけ)』です。
前回で触れたように艀は神戸に限らず、港湾では貨物の積み降ろしには不可欠な存在でした。
コンテナに収められた貨物をガントリークレーンで積み降ろしする、と言う荷役風景はまだまだ先の事です。
そしてこれらの艀を使って、港湾労働(荷役)に従事する労働者を取り仕切っていたのが、山○組でありまして…
まぁ、それは触れずに置きましょう(苦笑
 
戦後2年が経ち、陸地部分では復興が始まっているようですがまだまだ更地が多く残っています。
ちなみに貨物線の『小野浜駅』は昭和14年(1939)に『神戸港駅(こうべみなとえき)』に改称されています。
 

Kobe_1963crop

昭和38年(1963)の神戸港です。
前の画像と比べ、艀の数が格段に増えています。
加えて新港突堤や沖には大型船が入港しており、港内では小型船舶が行き交うなど、港の活況が伝わってきます。
 
新港は東に拡充され、第8突堤までのエリアが完工しているのが見て取れます。
この年、中突堤に神戸港のシンボルとも言える『ポートタワー』が竣工・開業していますが、画像からはまだ確認できません。
市街地は完全に復興を果たしているようで、もはや更地は見当たりません。
現在『山手幹線』と呼ばれている道路も、以前に比べ拡張されているのが確認できます。
 
さて、今回はこの辺で。
次回は昭和40年代から現代に至る神戸港を見てまいります。
 
続く

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