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2006年8月16日

<当然と言えば当然…>

原作者もオカンムリのようで。。。

┐(´ー`)┌ ソリャソーダ

↓『ゲド戦記(アースシ-シリーズ)』原作者
アーシュラ・K.ル=ヴイン Ursula K. Le Guinのコメント

2006年7月29日

<やっぱり…>

思ったとおり。
まぁ、皆さん同様の感想だった、と。

まだこっちの方が良いでしょう。
(^_^;)

2006年7月13日

<観たくない(;´Д`) >

《ゲド戦記》が『スタジオジブリ』で映画化されると聞いたのはいつだっただろうか?
そのとき率直に感じたのは

『観たくない!』

だった。

自分のイメージの中ではあの一連の作品
(ゲド戦記=アースシーシリーズ)
は、あのジブリの作画ではしっくり来ないと思っている。
なんて言うか、もっとリアルで写実的な…
ジブリのような“アニメな絵”ではなく、
劇画タッチもしくは実写向きの作品ではないだろうか?

そもそもあのシリーズ自体がファンタジーでありながら、
どこか人間の“生々しさ”を感じさせるリアリティを持っているのだから。

竜や魔法使い、死の影との戦いなどが描かれてはいても、
あの作品にはそれらが現実に存在する世界を構築している。

なぜ今回の映画のプロットが3巻から採られているのか?
と言うのが最大の疑問点である。
『ゲド戦記』とは言いながら、ハイタカのゲドは脇役であり
主役はアレン王子だ。
おまけに4巻以降に登場する、ゲドの養女のテルーまで引っ張り出してきている。

映画のHPをみて見た。
原作には『ゲド戦記』(当然か…)とあるが、原案:『シュナの旅』(宮崎駿)!
ジブリは(と言うか監督は)あくまでも“少年の成長物語”を作りたかったのであろう。
主人公の王子の成長、それを助ける魔法使い、そしてヒロイン…
《お約束》と言うにはあまりにも直球すぎる。

ル=グィンの作品は単なる“キャラのネタ元”であって
じつは原作ではない。

なぜ1巻の『影との戦い』を骨子にしなかったのだろう?
と言う疑問は他の人のブログでも言われている。
ストーリー的にも一番判りやすいであろうに。
もっとも納得できる指摘は
魔法使いの成長=ハリポタじゃないか!と言う点。
でもコンセプトはそうでも、他にいくらでもアレンジのやりようがあっただろう。
そして何よりも1巻には

“ヒロイン”がいない! (^_^;)

もうここまで書いていると気分的には

絶対観てはいけない作品(笑)に思えてきた。

観たくない、と思うにはもうひとつ理由がある。
世間の“ジブリ評価”である。
どうも一般には

ジブリの作品は大人も子供もそろって楽しめる
(だからいい作品だ)

と言う評価が(事前に)ついている気がしてならない。
一昔前で言うなら『文部省推薦』 

ジブリだから安心、とか
ジブリだから(ゼッタイ)良い作品!なんて

偏った受け入れ方があると思うが、いいのかそれで?
作品に、ではなく宣伝に対して一種の“胡散臭さ”を感じてしまう。
このような『ハズレなし』な前評判は単に宣伝であって
作品を評価するものではない。

宣伝と評価をごちゃ混ぜにしていては正しい評価は出来ない。
特に今回の『ゲド戦記』に関しては、
その“すり替え”が強いと感じられるのだが
気のせい?

作品を観ずに批判することは卑怯だし失礼だとも思うが、
この作品に関してはどうしても観たいとは思わない。

2006年1月18日

<観に行きました>

公開から1ヶ月経って、やっと観てまいりました、『男たちの大和』

ストーリーやロケセットの再現度についてはいろんな所で述べられているので、ここでは割愛しますが今回お話するのは『大和』の撮影の方法について。

ディティール(細部)については良く考証がなされていましたね。撮影用のアレンジもありましたが、特に苦言を述べる部分もないでしょう。
ええ、昭和20年になってから増備された両舷の25ミリ機銃のシールドが角張った縁の戦時急造型じゃないじゃん、なんて言いませんよ(笑)
艦橋トップ、防空指揮所と15m測距儀のクリアランスが低過ぎて、あれじゃあレーダー操作で測距儀を旋回させると、見張員はもとより指揮をとってる有賀艦長までなぎ倒されるんじゃないかなんて、思いませんでしたから。ハイ。(^_^;)

さて、気になったのは『大和』の全景。
スチール写真やポスターを見ると、なーんかオモチャっぽい。
本物の『大和』の写真と見比べてみると、違うんですよね。原因は撮影する時に使用されたレンズの違いと(やっぱりの)スケール感です。

公試運転中の大和の写真は、恐らく運転状況観測用の随伴艦が、ほぼ500~800メートル離れたところから撮影したものであると思われますが、その時に恐らく長大な船体の全景をフィルムにを収めるために広角レンズ(パノラマサイズが撮影できるアレです)が使用された可能性があり、これは横方向のデフォルメ感が強調されてしまいます。
船体が長く(特に艦首部)艦橋部がこじんまりと写っているのはそのせいでしょう。

スケール感についてですが、これは実物と写真と図面の奇妙な関係、とも言えるものです。
身近なところで乗用車を例にとってみましょう。
車は乗り物としては人間が“乗り込む”(乗っかって、ではない)ものです。つまり人間よりも大きい物です。
これを外から眺めると、全景を見るならばどうしてもある距離まで離れなければならない。
でも、遠近感の影響で必然的に手前のボリュームが強調されてしまうのです。
さて、同じ車を写真で見るとこの遠近感が更に強調されてしまいます。特にパンフレットや広告のリリース写真などは『見た目の印象』が大事ですから、撮影アングルはかなりデフォルメ気味にされています。

次に、この実車の図面を正確に模型で再現すると『なんか違う』どころか『全然違う』印象になる事があります。
これは普段目にしている視点がどちらかと言うと“同じ高さ”か、もしくは“見上げる”のに対し、模型の場合では“見下ろす”視点になるからと言う事が原因です。
つまり、先に述べたスケール効果によって、大きさが違うとその印象までもが大きく異なったものになってしまう訳です。
ですから模型メーカーの設計者は実物の図面通りに製品を開発すると『似てない!』『○○らしくない!』と叩かれる事を良く判っているのです。
この『らしさ』を再現するのに模型のメーカーさん(設計者)は苦労するのですが…

さて、今回の『大和』ですが、その撮影には呉の《大和ミュージアム》にある1/10模型と、撮影用に作られた1/35模型が主に使用されています。
これらは“実物の再現”の精度は極めて高いものだと言えますが、撮影に使用する段階で前述の“スケール効果”と“デフォルメ効果”の再現度についてはちょっと『足りなかった』と言う事ですね。

これにもう一言付け加えれば、船体の『高さ』が気になりました。なーんかね、『腰高』なんですよ。
船体が“短くて高い”と感じるから、どうしても『大和』の巨大さが半端になった感じは否めません。
これもスケール効果の一つでしょう。
『大和』を攻撃するアメリカの艦載機の圧迫感を出そうとワザと大きめに見せたこだわりは判りますが、主役が置き去りにされてしまいましたね。

だからと言ってこの映画が駄作だと言う事ではありませんよ。
東宝の『連合艦隊』に比べれば遥かに“硬派”な作り(笑)
ワザとらしい“お涙頂戴”もなかったしな~。
原作を上手くアレンジしてきちんとした作品に仕上がっております。
オイラは後半ずっと涙ダダ流しだった事はここだけのヒ・ミ・ツ♪

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